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楽天グループ社員に聞く 能登半島地震を体験した「その日、その後」【中編】ライフラインを失うとどうなる?大地震後の実情と今後の備え

楽天グループ社員に聞く 能登半島地震を体験した「その日、その後」【中編】ライフラインを失うとどうなる?大地震後の実情と今後の備え

公開日:2024年5月1日

2024年1月1日元日、能登半島地震が発生、甚大な被害が起こり多くの方々が被害を受けました。本記事は、この地震で被災した楽天グループ社員がそのとき何を思い、どのような経験をしたのか「その日」と「その後」について話を聞き、前編・中編・後編でお届けするものです。
インタビュー【前編】では、地震発生直後の避難や避難所生活でみえた課題を、今回の【中編】ではライフライン断絶後の生活から東京に戻れるようになるまでの道のりについて聞きました。
さらに次回の【後編】では2回のインタビューからみえきた、今からできる備えや知っておきたい知識についてご紹介する予定です。

(Interview)楽天グループ社員 Ayanoさん/マーケティング戦略本部所属。2024年1月1日、石川県能登半島の実家へ帰省中に地震に被災。 (Interview)楽天グループ社員 Ayanoさん/マーケティング戦略本部所属。2024年1月1日、石川県能登半島の実家へ帰省中に地震に被災。

災害時の連絡手段は公衆電話だった

―――地震発生後の後、数日にわたり電波が届かない状況だったと聞いています。その間、ご友人や会社の人への連絡はできたのでしょうか?

Ayanoさん:地震が発生してから1週間は電波がつながらず、スマホで電話やLINEはできませんでしたね。ただ、近所に公衆電話があるのを思い出し、地震発生の翌日に公衆電話から友達や会社の人に電話をかけにいきました。

―――公衆電話から連絡をしたのですね。すぐ連絡はつきましたか?

Ayanoさん:普段、公衆電話を使うことはないのですが、「Viber(バイバー)」に登録している人だったら電話番号がわかることに気がつき、公衆電話からスマホのViber(バイバー)画面で電話番号を調べながら、会社の人に電話をしたんです。

―――電話番号がわからないと、公衆電話で連絡をとるのは大変ですね……。ただ、楽天グループだと社員同士で頻繁にViber(バイバー)を利用するから会社の人の電話番号はすぐわかった、と。

Ayanoさん:そうなんです。逆に言うと会社以外の友達にはほとんど連絡できなかったです。普段LINEで連絡をしていると、メッセージやLINE通話で済むので電話番号を交換しないんですよね。

―――ちなみに、楽天グループでは災害時に社員の安否状況を確認するシステムも利用していると思います。安否確認システムはどうでしたか?

Ayanoさん:会社で利用している安否確認システムにはもちろん登録していましたが、地震発生直後からそもそも電波が届かない状態になってしまったため、通知もなにも確認できなくて……。安否確認連絡への回答をするしない以前に、安否確認システム自体にアクセスができませんでした。今回のような大災害になると、安否情報を伝えるのがなかなか難しいですね。

社員が被災したそのとき、会社では?

地震のあと、Ayanoさんの安否がわかるまでの間、社内のメンバーも非常に心配したそうです。そこで、当時の様子についてAyanoさんの所属する部署の上司であるShoiさんにもお話をお聞きしました。

社員が被災したそのとき、会社では?

Ayanoさんの上司、Shoiさん

―――社内では、Ayanoさんの安否がわからず、かなり心配されていたようですね。

そうですね。事前に帰省するという話は聞いていましたけど、具体的な住所までは特定できていなくて、被災したのかどうかも確信が持てず心配でした。会社の人事部もすぐに動いてくれて、どうやら大地震の影響を受けた地域に帰省しているようだ、ということはつきとめたのですが、地震発生当日は、本人とまったく連絡がつきませんでした。

―――現地では、地震発生からすぐ停電をして電波も届かない状況だったようです。

地震が起きたのが1月1日の夕方ぐらいだったでしょうか。そのあとすぐにスマホでニュースをみて、石川県が震源地だと知って。Viber(バイバー)から「大丈夫!?」とメッセージを送ってみたんですけど、当然返事もなく……。メッセージは届いていなかったんでしょうね。すぐ電話もかけてみたけれど「電波が届かないところにいます」というアナウンスが流れるだけでした。

―――その後、Ayanoさんは公衆電話から会社の方々に連絡をしたそうです。

最初にAyanoさんの無事を確認できたのは、僕らの上長にあたる役員でした。先ほどAyanoさんからも話がありましたが、公衆電話から電話をかけてくれたんですよね。非通知の電話番号からの連絡だったけれども、タイミング的に「……もしかしたら!」とピンときて電話に出たんだそうです。その後すぐに無事だという情報が会社のメンバーにも共有されて、まずはみんな安堵しましたね。

  • 公衆電話からの着信がスマートフォンにかかってきた場合、iPhone 中では「非通知」と表示され、Androidの場合は「公衆電話」と表示される。

―――その後、AyanoさんからShoiさんへも直接電話があって、頼まれごとをしたそうですね。

はい。役員が第一報を受け取った後、私にも直接電話がありました。思ったより元気そうな声だったので安心しましたけど、実際のところはかなり苦労があったようです。
そのときは「年始に歯医者の予約をしていたけど、歯医者の電話番号が調べられずキャンセルができないので、キャンセルしてもらえませんか?」みたいな拍子抜けする話があって。「わかった、キャンセルしておくよ」なんてやりとりをしていたんですけど、後から聞くと「あまりの惨状に起きていることに現実味がなくて、むしろ実務的なことばかりが妙に頭に浮かんできてしまって」みたいなことを言っていましたね。
きっと、精神的にもギリギリの状態だったんじゃないかなと思います。会社のメンバーも本当に心配していたので、東京に戻って会社に出てきたときはみんなで喜びあいましたね。

被災地から電話をかけても出てもらえない?

―――いざというときに連絡をとるためにも、近い関係の人とは電話番号を交換しておいたほうがよいですね。

Ayanoさん:そうですね。ただ、今回感じたのは、たとえ電話番号をお互いに知っていたとしても「電話に出ない」ってことがあるってことですね。今どきだと、番号が非通知になっているとか、よくわからない相手の番号だったら電話に簡単には出ないじゃないですか。

―――確かに、今どきは知らない電話番号から着信がきたら、警戒するのが普通かもしれませんね。

Ayanoさん:自分だって知らない電話番号からの着信には警戒するし、ましてや非通知だったら絶対に出ない。だから電話に出てもらえなくても仕方ないですよね。でも、この一件があってからは「非常事態が起きたときは、知らない番号でも電話に出よう」って思うようになりました。

―――そうすると、会社の方以外とはほとんど連絡がとれなかったのですね。

Ayanoさん:はい、連絡はとれなかったですね。ただ、電話はできなくても、心配はしてくれていたことを後で知りました。たまたま元日に「BeReal.」っていうスマホのアプリで「あけましておめでとう」っていう投稿をしていたんですけど、それを友達がみて「ここって、地震があった場所だよね?」っていう感じで、私の状況をいろいろ調べてくれたりもしてくれていたみたいです。

外部からの安否確認で公共の電話がパンク寸前に

―――公衆電話以外には連絡をとることができる手段はなかったのでしょうか?

Ayanoさん:近所の公共施設に、公衆電話以外に1台だけ、地震の影響を受けずに通話ができる衛星電話があったんです。ところが、外部の人が家族や知人の安否確認をするためにその衛星電話の番号にひっきりなしに電話してくるようになってしまったそうです。 どうやら SNSなどでその公共の電話の電話番号が拡散されたようなのですが……。人命救助や物資の輸送のやり取りにも使っていた衛星電話が、本来の目的に使えなくなってしまったんです。

―――きっと「この番号ならつながる!」という善意の気持ちから、 SNSで拡散されていたのでしょうね。ただ、結果的に唯一の電話となった衛星電話が使うに使えなくなったと。

Ayanoさん:はい。こういう災害時はどれだけ身内が心配でも、公共の電話番号にかけるのは避けたほうがよいですね。まずは現地が落ち着くのを待ってほしいです。あまり知られていないかもしれないんですけど、知っておいた方がいいことだな、と思います。

―――被災地で何が求められ、どんな援助が必要か、外部の人たちが控えるべき行動はどんなことか、ひとりひとりが知識を持たないと、思わぬ影響が出てしまうこともあるのですね。

各家庭の停電が復旧するまで約1ヵ月。夜になると不安感が募る日々

―――今回の地震では多くの地域で停電や断水がありましたが、1月9日には被災地の主要な避難所の停電がほぼ復旧したとの報道も聞こえてきました。

Ayanoさん:民家に電気が通るようになったのはもっと先だったと聞いています。復旧までに1ヵ月くらいかかったと思います。だから私が東京に戻ってきた段階では、実家の停電はまだぜんぜん復旧していなかったですね。

地震直後、街中の電柱は倒れて電気や電話回線はすぐに使えなくなった

地震直後、街中の電柱は倒れて電気や電話回線はすぐに使えなくなったという。(Ayanoさん撮影)

―――避難所では1週間ほど停電だったということですが、具体的にどんな点が大変でしたか?

Ayanoさん:冬でしたから、夕方5時になるともうあたりが真っ暗になるんですね。夜が明けるのが朝の7時くらいで、それまでずっと真っ暗な中で過ごすんです。余震も続く中、ただでさえ不安だったのに真っ暗になってしまうのが本当に嫌で。みんな夜になるのを怖がっていました。

―――当時、明かりは何で確保していたのですか?

Ayanoさん:おもに懐中電灯です。もし、ソーラー充電できるライトとか、手回しでつけるライトとか、電力に依存しない照明を持っていたら気持ちがもっと明るくなったかもしれませんが……。

―――電気がないことが精神的な不安も引き起こしていた?

Ayanoさん:そうですね。夜になると気持ちが不安になってしまって。物理的な問題としても、夜に真っ暗な中でトイレにいくのが大変でした。トイレにいきたいときは、懐中電灯で照らしたり、スマホを明かり代わりに照らしたりして。電波が一切届かない中ではもはやスマホは明かりとして使うくらいしかできませんでしたから。

―――スマートフォンで明かりを確保するとしても、電池が切れてしまうのは心配ですね。

Ayanoさん:そうなんです。避難所に発電機はありませんでしたから、まともに充電なんてできませんでした。苦肉の策で、電池が残っていたパソコンなどから充電するといった方法をとり、一時的にしのいだりもしました。とにかく当時は身のまわりで使えるものは工夫しながら使わないと生活できなくて、必死でしたね。

―――スマートフォンの充電はいつごろできるようになったのですか?

Ayanoさん:地震発生から5日ぐらい経過後に、楽天モバイルをはじめとする複数の通信事業者が避難所で無料充電サービスやWi-Fiルーターの無償提供サービスを開始しました。ちょうど私が東京に帰るときに、被災地に向かう楽天モバイルの充電サービスの車とすれ違ったりしました。親からは「すごく助かった」っていうことを聞きましたね。

楽天モバイルは、被災地域の楽天モバイルショップや一部避難所において無料充電サービスなどをおこなった。

楽天モバイルは、被災地域の楽天モバイルショップや一部避難所において無料充電サービスなどをおこなっていた。(Ayanoさん提供)

楽天モバイルで無料提供していたモバイルバッテリー。

楽天モバイルで無料提供していたモバイルバッテリー。(Ayanoさん提供)

水道の復旧は遅れ、断水の日々が続く

―――地震発生直後、水が足りず大変だったというお話はお聞きしましたが、被災地の断水の復旧は難航していたようですね。一部の地域では5月末になるところもあるという報道もありました。現在も被災地にいるご家族への影響はどうですか?

Ayanoさん:現在、私の実家の断水は解消していまして、家族は実家に戻って暮らしています。避難所や仮設住宅に住んでいる方もまだたくさんいますが、私の家は倒壊せずに済んだので、ある程度インフラが復旧した中で家の中を整えながら住んでいます。

―――Ayanoさんの地域ではほかにも自宅に戻った方は多いですか?

Ayanoさん:私の体感ですと全体の8割くらいの家が倒壊してしまったような印象なので、避難所や仮設住宅でまだ過ごしている方が少なくないと思います。ただ、仮設住宅の数は入居申請に対して全く足りてないみたいですね。お年寄りの方などはホテルや旅館を二次避難所としているケースもあるみたいです。

仮設住宅を建設している様子。急ピッチで工事が進んでいる。

仮設住宅を建設している様子。急ピッチで工事が進んでいる。(Ayanoさん提供)

―――ちなみに、ガスは地震直後にはやはり使えなかったですか?

Ayanoさん:私の家で使用していたガスはプロパンガス(LPガス)ですが、家も倒壊していないですし、ボンベがそのまま置いてあったので、地震直後でも使おうと思えば使えたのかもしれません。でも、そのときはガス漏れなども怖かったし、使わなかったですね。そもそも断水していたのでガスでお風呂を沸かそうにも水がありませんでした。

ボランティアによる支援の実情

―――Ayanoさんの避難所にも、ボランティアの方々が支援に来たりしましたか?

Ayanoさん:ドクターヘリは1月2日の午後ぐらいから来ていました。道路の地割れもあり車が通れる状況じゃなかったので、当時、交通規制もあって一般のボランティアの方はほとんどいなかったんじゃないかなと思います。

―――地割れした道路で道が寸断されて、一般車両は通れる状況ではなかったと。

Ayanoさん:そうです。地形的に山あいに2車線だけあるみたいな道ばっかりなんですよね。 そのうえ、片側が土砂崩れで塞がっているとか、割れているとか、そういう道路がすごく多かったです。もともと細いのにより細くなったり、悪路になったところが多いので、もし一般車両で通ったらパンクしてしまうと思います。 1台パンクしたら、その後、車が一切倒れなくなってしまいますから交通規制をかけないといけない。一般車両だと通るのは厳しいですよね。

被災地では、地面が割れてしまっている道路が多数あった

被災地では、地面が割れてしまっている道路が多数あったという(Ayanoさん撮影)

避難所のペット事情

―――ペット連れでの避難がとても難しいということも報道でもとりあげられていました。実際に避難所などではペットはどんな状況でしたか?

Ayanoさん:私のいた避難所でもペットと一緒に避難している方はいました。同じ避難所にいた知り合いの家族は犬と猫を1匹ずつ飼っていて、それぞれケージに入れて避難所に連れてきていましたね。

―――避難所の部屋のなかでペットも一緒に過ごせたのですか?ペットの受け入れが難しい避難所もあると聞きますが、どうでしたか?

Ayanoさん:私のいた避難所の場合は、犬や猫も同じ部屋の中で一緒に過ごしていました。ご近所同士、顔見知りだからかもしれませんが、特に嫌な顔をする人もいなかったんじゃないかなと思います。しつけがちゃんとされていたし、幸いアレルギーの人もいなかったので、みんなで可愛いがって、むしろ避難生活が癒された感じがありました。

―――報道によると、避難所の中には、ペット連れの避難者は別の部屋で過ごすようにしているところもあったそうですね。

Ayanoさん:そうですね。私の避難所でも1月4日~5日頃になって、少し行政側に余力が出てきた段階で、避難所全体でペット連れの避難者を一部屋に集めて過ごしてもらおう、みたいな動きはありましたね。

―――ニュースなどをみていると避難所に一緒に連れていけないという方も多かったようでした。避難所ごとに対応はそれぞれですね。

Ayanoさん:「ペットを避難所に連れていくことができないから、ペットと避難することを諦めた」っていう方や、「避難所に連れていけないから車中泊をせざるを得なかった」という人もいた、ということは聞いたことがあります。

―――そもそも、地震で家屋が倒壊してペットが逃げられなかったり、地震の衝撃でペットが外に逃げてしまったりしてそのままみつからない、という話もあるようですね。

Ayanoさん:私の知り合いの家でも猫を飼っていましたが、家が倒壊して逃げ出してしまい行方不明になったと聞きました。

毎日服用している薬が手に入らない状況

―――地震発生直後はお医者さんが善意で避難所をまわってくれていたと言っていましたが(前編参照)、避難生活が続くと、医療体制も変わってきましたか?

Ayanoさん:地震発生当初、病気やケガなどが重症なケースではドクターヘリで対応してもらっていました。ただ、避難生活が続いていくと「ケガや病気を診てもらいたい」ということよりも「毎日飲んでいる薬が切れてしまう」ということが大きな悩みになる高齢者の人が多かった気がします。

―――病院にいけないと、診察して処方箋をもらうことが難しそうですよね。

Ayanoさん:私の地元では車で数十分かけて病院にいきます。そこで受診して処方箋をもらって、という人が多いんですが、道路が割れて通れないので、病院にいけずいつも飲んでいる薬の処方箋がもらえなくなってしまって。

―――特に高齢の方が多い地域ですと、その問題は深刻ですね。

Ayanoさん:そうなんです。ただ、そのときはお薬手帳があれば医師の診察がなくても薬局などで薬を受け取れる特例措置が出たので助かりましたが。

―――緊急的な措置が出て薬がスムーズに確保できるようになったのですね。 被災して対応できない薬局にかわって、必要な薬が届けられているという報道もありましたし、よかったですよね。

Ayanoさん:ええ。被災者が薬をどうやって確保するかという問題は避難所のなかでもだんだん大きい問題になっていきました。「お薬手帳を持ち出せなかった」と困っている方もいましたけど、意外と高齢の方たちはしっかり持って避難していましたね。

避難生活の長期化で、必要なものにも変化が

―――避難生活が続くと、身のまわりのケアにも少し意識が向くようになるのでしょうか。被災した当初、お水が3日で500mlしかないというお話がありましたが(前編参照)、たとえば歯磨きなんかはどうしていましたか?

Ayanoさん:水が不足していましたし、地震直後は歯磨きどころではありませんでしたね。それに食事もまともにとれてないので、食べ物で汚れている感じもなく、そこまで気にしてはいませんでした。ですが、歯磨きができないことが徐々につらくなってきましたね。

―――お風呂などにももちろん入っていませんよね。

Ayanoさん:水がなくてお風呂に入れないので、髪の毛も少しべたつき始めたりしてにおいも気になるし、だんだんと体の汚れが気になり始めました。

―――日を追うごとに起きる問題としては、車のガソリン補充などの問題なんかはどうでしたか?二次避難先に移動する人も出るでしょうから、切実な問題だったのでは。

Ayanoさん:地震発生当初は、ガソリンスタンドに残っていたガソリンがなくなったらそれで終わり、みたいな感じでしたね。でも、亀裂が入ったり寸断したりで道路が通れる状況じゃないから、仮に給油をしてもまともに動けなかったと思います。移動のためのガソリンというより、当初はむしろ車中泊で過ごす人たちの暖房としてのニーズが高かった気がしますね。

―――時間が経過するにつれて、必要なものも少しずつ変わっていくことがよくわかりますね。

Ayanoさん:そうですね。避難生活が長引くと、悩みも少しずつ変化していきましたね。

被災地から東京に戻るまで

―――道路が地割れや寸断で身動きできない状態でしたが、避難所での生活から東京にはどのようにして戻ったのですか?

Ayanoさん:1週前後くらいにようやく被災地から出られるルートの情報や、被災地から外部へ移動し始めている人も出てきているということが耳に入ってきました。スマホの電波が繋がり始めたことで、「帰れそうだ」ということがわかって。

―――そのタイミングで、東京などから帰省していた若い人たちもそれぞれの場所に戻ることに?

Ayanoさん:はい。多くの人は帰れるようになったタイミングで帰ったと思います。私は親や祖父母が心配だったので、しばらくは一緒に残りたい気持ちだったんですけど……。若い人たちはみんな同じような心境だったんじゃないかなと思います。ただ、親やまわりの年長者からは早く安全なところに戻って、ちゃんとお風呂に入って、ご飯がしっかり食べられる日常に戻れ、と言われました。私自身も会社のことも気がかりではあったので、東京に戻ることにしました。

―――東京へいく新幹線の手配などはどのようにできたのですか?

Ayanoさん:私の地元から新幹線が出る金沢市にいくには普段は車で1、2時間くらいかかりますが、地震後は金沢市への道が崩れて寸断して、迂回する別の道を通らないといけませんでした。その道がかなり渋滞していて丸1日くらいかかるって聞いていたので、とにかく金沢へ出てから考えようと。着いてから新幹線のチケットの手配することにしました。

―――地元の避難所から金沢に着いたとき、どんな感じでしたか?

Ayanoさん:かなり早朝に避難所を出発したんですが、やはり金沢駅に到着するまでに普段の3倍近い時間がかかりましたね。金沢駅についてみると、いつもと変わらない街の様子で、地元とかなりギャップがあって驚きました……。

―――被災してから緊張続きの毎日で、自分の状態を振り返る余裕もなかったですよね。新幹線に乗って初めてホッとできたのかもしれませんね。

いまからできる今後の備えとは

いまからできる今後の備えとは

―――いま、災害への「備え」についてあらためてどう考えていますか?

Ayanoさん:普段、東京に住んでいる家族とは「東京で被災したときにどうするか」とか「どうやって合流するか」「待ち合わせをどこにするか」なんて話はしていたほうなんですけど、まさか年に数日の帰省のタイミングで地震が起きるとは思ってもいなくて、そこの備えが十分ではなかったなと思いましたね。

―――備えとして「これだけは絶対に必要」と感じたものはどんなものですか?

Ayanoさん:水。まず水ですね。水は飲むにも生活するにも本当にないと厳しいです。備えはしっかりとしていきたいです。あとはやっぱり避難所に電気がなくて肉体的にも精神的にもつらかった経験も踏まえると、あらためて電気も必要だなと。モバイルバッテリーなどは絶対備えておきたいもののひとつですね。

―――災害はいつ起きるかわからないので「暑さ」「寒さ」も意識した備えが必要なのでしょうね。

Ayanoさん:寒さ・暑さに対応した準備は必要ですね。私の場合は、停電で暖房も使えずやっぱり寒さが厳しかったです。みんな家から持ってきた服を着こんだりして防寒していました。アルミの防寒シートは支援物資にもあって配られていましたが、それで十分というわけではなかったので、自分自身での備えがとても大事だと思いました。

地震の発生した1月1日は、寒さが厳しかった時期。道のところどころに雪の跡がみえる

地震の発生した1月1日は寒さが厳しかった時期。道のところどころに雪の跡がみえる(Ayanoさん撮影)

想定通りにいかないことも含めて想定を

―――これからますますデジタル化が進む中で、災害時にインターネットの接続が必要なものだと機能しない、という課題もみえてきましたね。

Ayanoさん:さきほど、被災している状況でもお薬手帳があれば薬を入手できたというお話をしましたが、最近はお薬手帳もアプリで管理できるものも増えています。データがダウンロードされてオフラインでも確認できるお薬手帳アプリなら、インターネットがつながっていなくてもみることができるので、いざというときにちゃんと使えるかチェックすることも大事ですね。

―――自宅が倒壊すると、あとで地震保険を請求するための写真撮影も必要になると思うのですが、実際にそういう動きはありましたか?

Ayanoさん:保険の請求のためというよりも外部に被災状況を伝えたり、記録としてスマホで写真をとっていたりする感じだったかなと思いますね。たぶん、当時そこまで考えて動ける余裕のある人はいなかったと思います。でも、一応被災後に自分の家では「私の家って地震保険入ってたっけ?」みたいなことは思ったりしました。

―――やはり、普段なら気がつくようなことも、実際にはなかなか考えが及ばないですよね。

Ayanoさん:家の中がぐちゃぐちゃですし、そもそもその契約の書類とかも取り出せないので、自分の家が保険の対象なのかどうか確認するすべもなかったですね。電波が届くようになれば調べることもできるようになりましたが、高齢の方は電波が届くようになってもネットで調べたりも難しいですよね。

―――意識の上でこれまでと今とではどんな変化がありましたか?

Ayanoさん:実際に災害が起きることを想定したシミュレーションが大切なのはいうまでもないんですが、私の場合、そもそも「津波が来たときにはここに避難するように」といわれていた山が崩れてしまった(前編参照)。レベルの違う大災害だと「想定通りの行動ができない」ってことも想定しないといけないですね。
こんな経験するとは思っていなかったんですが、こんな経験した人だからこそ、何回も繰り返し伝えることで絶対誰かの中に残っていくと思うんです。だから、大変だったこともしっかり伝えたい。今はそう思っています。

―――ここまで、思い出すだけで胸が苦しくなるような体験もあったと思いますが、被災された当時の状況を詳しくお話いただき本当にありがとうございます。
最後に、この記事を呼んでくださった方へのメッセージをお願いします 。

Ayanoさん:あの地震の直後、避難所にいるときはその日その日を過ごすのが精一杯でしたが、東京に戻ってきてからはこれからのことをすごく真剣に考えました。水や食料の不足、ライフラインの断絶、トイレとか、本当にたくさんの問題に次から次へと直面したので、この先もしかしたら起きるかもしれない災害に備えて、東京に戻ってきた後は、家族と一緒に準備を始めています。
そもそも人間って、何かが起きてからじゃないと「自分ごと」として強く感じられないところがあるじゃないですか。でも、先延ばしをせずに少しずつでも備えたり、周りの人と話してみたりしてほしいです。それが今の私の願いです。

まとめ【中編】

中編の本インタビューでは、楽天グループ社員のAyanoさんに、能登半島地震が起きた後、ライフラインが断絶してから復旧までの過程、外部との連絡もとれない環境での不安、東京に戻れるようになるまでのプロセス、特に必要だと感じた備えについて具体的に語っていただきました。

もともと、このインタビュー記事は、Ayanoさんから被災時の体験を直接聞いた会社のメンバーが「もっと多くの方にもこのお話を届けられないか」と感じたところから生まれた企画でした。「経験した人が何回も繰り返し伝えることで、絶対誰かの中に残っていくと思う」とAyanoさんがインタビューの中でも語っていたように、多くの方がこの記事を読んでご自身やご家族のために生かしていただけたらと思います。

次回の後編では、インタビューを通じてみえてきたさまざまな課題を前提に、大規模災害への備えとして今から私たちにできることとは何か?にクローズアップ。大規模災害への対策として知っておきたい知識についても解説します。

【前編】地震発生直後の避難や避難所生活でみえたさまざまな課題とは?
【後編】大規模災害への備え、私たちにできることとは?(5月下旬公開予定)

  • このページの内容は、一般的な情報を掲載したものであり、個別の保険商品の補償/保障内容とは関係がありません。ご契約中の保険商品の補償/保障内容につきましては、ご契約中の保険会社にお問合せください。
  • 税制上・社会保険制度の取扱いは、このページの掲載開始日時点の税制・社会保険制度にもとづくもので、すべての情報を網羅するものではありません。将来的に税制の変更により計算方法・税率などが、また、社会保険制度が変わる場合もありますのでご注意ください。なお、個別の税務取扱いについては所轄の税務署または税理士などに、社会保険制度の個別の取扱いについては年金事務所または社会保険労務士などにご確認のうえ、ご自身の責任においてご判断ください。

(掲載開始日:2024年5月1日)

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